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隠蔽体質とジャーナリズム

 3月の震災、そして原発事故以来、さまざまなメディアがめまぐるしく動きました。復興に関するビジョンがなかなか示されないまま、原発事故の処理も遅々として進まず、政治家たちは政局の話に終始し、国民は置き去りにされているかのような意識になった時期もあり、日本という国は大丈夫なのだろうか、との思いが強くなったりもしました。現在は牛肉の放射能汚染に代表されるような食の問題も噴出していて、お子さんを持つ母親を中心に市民レベルでの動きもたくさん見られるようになりました。
 そんな中にあって私は、原発の問題は根が深いことを、今回の事故で再認識するに至りました。原発に反対する人たちがSNSなどでの呼びかけで大規模な反原発・脱原発デモを繰り広げたり、鎌仲ひとみ監督によるドキュメンタリー映画(「ミツバチの羽音と地球の回転」など)が話題になったりする反面、電力削減依頼の上に円高も手伝って、一部企業は工場の海外移転も視野に入れているという報道もあります。それが進めば雇用が減るのは必至で、経済への打撃は相当なものになるとの専門家による見解もあります。一方「電気は実は足りている」という話や、「低コストとされてきた原発のコストは実は高い」「温暖化とCO2量の増加は実は無関係だ」等これまでの定説を覆すようないくつもの情報がさまざまなメディアから耳に入ってきます。 
 少し前まで私は、「原発問題」について自らの考えをまとめよう、と思っていました。そのために多くの書籍を読み、過去のドキュメンタリーを観て、たくさん検索しました。その過程で、一度は「これが自分の意見だ」的なものを持ったように思いましたが、事情があってそれを放置しているうちに少しずつ考えが変わってきました。今日は、現在の私が考えることを記してみようと思います。

 私が思うに原発の持つ最大の問題点は、それに携わっている組織の隠蔽体質です。原子力発電が素晴らしい科学技術の上に成立していることや、クリーンで低コストなエネルギーであること、さらには原子力発電所を誘致することでその地域が経済的に潤うことなどなど、これらの正否の検証をするより以前に、「隠蔽体質」がそこにある以上、原発推進について考えることをすら、私の思考は拒否します。
 放射能による汚染がいったいどの程度になっているのか、また、日常生活の中でどのくらいの量(シーベルトだのベクレルだの)までなら許容していいものなのかなどについても専門家の間で意見が分かれています。私は原子力や放射能についての知識に詳しい者ではありませんが、科学者がここまで両極端な意見を述べるのには、まだまだ解明されていないことが膨大にあることも事実なのだろうと思います。

 しかしながら、被曝国でもある上にこれだけの事故が起きれば、私たち一般庶民が不安になるのは当然のことです。専門家の見解を、出来うる限りわかりやすく提示して欲しいと思うわけです。そんな中で、専門家の発言が「20ミリシーベルト以下」であったり「1ミリシーベルト以下」であったりと、あまりにも幅のある数値を提示されれば、どちらを信じたらいいのかわからなくなりますよね。

 さて、そこに「隠蔽体質」が見え隠れすれば、私たちの不安は増していきます。「わからない(解明されていない)」というのは、「本当にわからないから言えない」のか?本当はそうではなくて「隠しているのだろう」「隠しているに決まってる」というように、勘繰ってしまうのも無理はありません。不安はさらに「他にも何かを隠しているはずだ」「都合の悪いことを言わないだけだ」となり、さまざまな声を吸収しながら膨張し続け、最後には「すべてが嘘っぱちだ」となってしまいます。

 加えて問題を複雑にしているのは、そこに「煽り」と言ってもいいような情報が、ネットを中心に発信され続けていることです。テレビを批判し、新聞を批判し、記者クラブを批判している発言を数多く見かけます。記者クラブは震災前から長きに渡り一部で問題視されていたことですが、原発事故以来、敢えてなのかどうかはさておき、事故に絡めて大いに煽り、批判を強めているようにも感じます。

 私が今求めるのは、とにかく正しい情報を、時間差なく出すことです。実は2ヶ月前にメルトダウンしていて、すでに多くの一般庶民が被曝していました…では、あまりにもタイムラグがありすぎるし手遅れです。正確に、いち早くが基本です。情報の遅れや隠蔽は、デマを生むという側面も持っているからです。

 つまり、実はこれは原発の問題でありながら、報道の問題でもあるということに気づかされます。もしも東電や政府に隠蔽の意思があったとしても、そこにメスを入れ、質していくのがジャーナリズムでしょう。事実を暴いて、正しい情報を素早く提示できるような体制に持っていかなくてはならなかったのではないでしょうか。

 そういうわけで私は、その隠蔽体質と我が国のジャーナリズムの有りようが、今回の原発事故を余計に大きくさせてしまったのだと思っています。ジャーナリズムのあり方については、さまざまなことを考えさせられていますが、それについてもいつか、もう少し掘り下げてみたいと考えています。

 


社会はいつでも不条理を孕んでいる


昨年夏のベルリン国際映画祭で、主演の寺島しのぶさんが
最優秀女優賞(銀熊賞)を受賞したことで話題となった映画があります。
『キャタピラー』と題されるその映画の内容から、
私は最初に『ジョニーは戦場へ行った』を思い浮かべました。
あとから知ったのですが、『ジョニーは戦争へ行った』は、
映画『キャタピラー』の元になった作品でもあるようです。

『ジョニーは戦場へ行った』を私が最初に知ったのは、
学生の頃だったでしょうか…図書館で文庫本を手にした時でした。
何気なく読んで衝撃を受け、
その後、映画をレンタルビデオで観たのでした。

セピア色のその作品は私にとって
それまでの「反戦」のイメージを塗り替えてくれるものでした。
声高に「戦争反対」と叫ばずとも、静かにひっそりと心にそのメッセージが浸透してくる、
といった感じでした。

そんな形での出会いだったせいか、
原作の文庫本に記されていた作者名ダルトン・トランボという人物が、
映画の脚本家であるということを知るまでには時間がかかりました。
しばらくは、「小説家」なのだと思い込んでいました。


その後の私の記憶の中で、ダルトン・トランボの名が大きくなったのは、
2003年、かの名作『ローマの休日』の公開50周年記念のデジタル修復版で
原案・脚本のクレジットが
マクレラン・ハンター名義からダルトン・トランボ名義に書き換えられた時でした。
そこで新たに知ったのは、実は偽名で脚本を書いていた時期があったという、
驚くべき事実でした。

『ローマの休日』。
公開されてから、実に60年近くも経っているというのに、
この作品を知らない日本人は数少ないでしょう。
公開当時を知る人から聞いたことがあるのですが、
街角に張られていたO・ヘップバーンのポスターが軒並み盗まれたとか。
日本ではとくに人気のある作品のようです。
個人的には、新聞記者役のグレゴリー・ペックがお気に入りv


実は最近、NHK-BSで放映され、録画しておいた番組を観ました。
BS歴史館「シリーズハリウッド100年アメリカの光と影(1)

そして私は、
「赤狩り(レッド・パージ)」が盛んに行なわれていた時代を詳しく知りたくなり、
関連書籍をずいぶん読み散らかした頃のことを想い出しました。

社会とはいつでも不条理を孕んでいて、
小さき者はそのうねりの中で翻弄されて生きる以外にないのだ
、と
大きく言えば私にとって、そんなことを確信した時期でした。

「マッカーシズム」とも言われるその運動は、
いわゆる「見せしめ」として、ハリウッド映画界で最初に展開されました。
ハリウッド・テンに名を連ねるはめになったトランボは、
自白や密告の執拗な強要に耐え抜いてハリウッドを追われてしまいます。
それでも逮捕、禁固刑(実刑)を乗り越え、
偽名を使って、ハリウッドで脚本を書き続けていたとの事実からは、
彼の執念を感じさせられます。


そして、私の中にも、小さな芽吹きのようなものを感じました。
今のような時代でも、彼のような揺るがない信念があれば
もしかしたら何かを成すことが出来るのかもしれない。

不条理に飲み込まれることを選択しているのは、自分自身なのでは?
そんなことを考えるに至りました。


 
            

        美しい!ポスターが盗まれた理由がわかります。


原発を考えてみる

大震災、大津波、そして原発事故。
どれもこれもたいへんな大災害で、私に一体何ができるのだろうか、と
考えない日はありません。

震災や津波による被災者の方々はもちろんですが、
放射性物質による退避圏内やその周辺の住民の方々、
また、農業に携わる人たち、家畜を持つ皆様には、
本当にたいへんなご苦労を強いています。

とくに東京電力管内に生活している私は、
原発事故による被災者の皆さんのことを考えずにはいられません。

原発の問題はここまで複雑だということを、おはずかしながら私は、
今回の事故をきっかけに深く知ったような次第です。

これは、私たちエネルギーを使う人間一人一人の問題であり、
決して政府や電力会社、ましてや被災された方々だけの問題ではありません。

「原発推進派」や「原発容認派」、また「反原発派」や「脱原発派」などと
世の中ではカテゴライズされたりもしているようですが、
ではいったい自分はどこに属する意見の持ち主なのか?…と問いながら
このところ、しばらく考え続けていました。


結論を先に言えば、決まった答えをいまだ持てずにいます。


「原発は危険だから反対したい」という思いもありますが、
ではこれから、節電を続けるだけで電力の供給量に問題は無いのか?
…との疑問も残ります。


水力、火力、風力、さらには太陽光など、発電の方法はいくつもありますが、
それぞれを詳しく知れば知るほど難しいこともわかってきます。
ものすごく簡単に記してみるならば、以下のような感じでしょうか。

・水力発電の問題点
 送電線建設の高コスト。送電時のロス。環境破壊(含、生態系破壊)。
 新しく開発する場所は極めて少ない。
・火力発電の問題点
 燃料確保のためのコスト(輸入?)。CO2排出による環境汚染など。
・風力発電の問題点
 騒音。周辺住民の健康被害(低周波音)。台風や落雷による破損の危険。
 景観の破壊。水質や水源の汚染など。


さらに、仮に脱原発を推進するとして、
主要国の電源別総発電電力量の構成比(2008年)を見る限り、
原子力発電を即ちに閉鎖し、他の発電方法にすべてを頼ることを選択するなら、
水力なり火力なりの、新たな設備を建設しないわけにはいきません。


一方、原発には、廃炉の処理にも危険が伴うという事実もあります。
是非ご覧頂きたいのが、以下の動画です。

NHKスペシャル「原発解体〜世界の現場は警告する〜」(2009年10月)

【動画】原発解体(1)〜(3)


こういった現実を知るにつけ、いったいこの先、
このエネルギーという厄介な大問題をどのように解決に向かわせればいいのか、
途方に暮れてしまいます。

もちろん、私たちに出来る最も手近なことは、
少しの不便を享受したとても、電気使用量を極力減らす努力です。

ただ、その『節電』が、この先半永久的に続いても構わないところに
私たちの生活水準を置くことを選ぶのか、
あるいは人類のこれまでの「進歩」を止めないように新たな発電方法を編み出したり
もしくはより安全でクリーンな原発開発運営の努力をすることを選択するのか、


私たち個人個人の問題として考えなければならないときに来ていると思います。


 


原子力の知識

「レベル7」という事故を起こした後になってから言っても仕方がありませんが、
私は、自分が原子力発電に対してあまりにも無知だったことへの反省から、
このところ考えていたことがあります。

今回の原発事故の問題のひとつとして、
「原発はクリーンで安全」というキャッチフレーズによって
多くの人たちが思考停止に陥っていたのでは無いかと思っています。

原子力発電所が現在の様子になるまで推進されてきた背景には、
「反原発派」と「原発推進派」との戦いが繰り返されてきた歴史があります。

人間の作った技術である以上、『100%安全』はありえないのは当然ですが、
安全の確率を『99.9999…%』と、小数点以下の9の数を一つでも多くしていく
努力を怠らないことでしか、その技術を利用することは出来ないはずです。
よく言われることですが、飛行機や列車、船や自動車に至るまで、
人が現代文明で利用している技術は、残念ながら『100%安全』ではありません。

しかしながら、唯一の被爆国である日本では、
やはり「放射能」は怖い、恐ろしい以外の何ものでもありません。
もちろん世界中の人々にも同じように恐怖感はあるのでしょうが、
きっと日本人には日本人にしかわからない恐怖感があると思うのです。

だからなのか、「推進派」は「反原発派」を封じ込めるために、
まるで『100%安全』であるかのような説明を繰り返してきたのかも知れません。
いえ、もしかしたら、『100%安全』でなければ折れないぞ、という姿勢を
「反原発派」が、強靭に示したのかも知れません。

いずれにしても、大震災と大津波に因るとはいえ、
「レベル7」なんていう大事故をわが国が起こしてしまうなんて、
私はまったく想像していませんでした。
「原発はクリーンで安全」だと、何一つ疑っていませんでした。
これこそ『思考停止』だったのだと、今さらながら猛反省しています。

そこで、今さらとは思いつつ考えることは、

人間の作った技術である以上、『100%安全』はありえない

…というところに立ち返って、

技術や管理に携わる人々は小数点以下の9の数を増やすことを深く追求し続け、
電力会社や政府広報は国民に向けて、原子力について知る機会を作る・増やす

という必要性が求められているのではないか、ということです。

もしも日頃から、「放射能」「放射線」「放射性物質」の違いを知っていたら、
もしも日頃から、日常に自然から浴びている放射線のことを知っていたら、
過剰反応をすることも少なかったでしょう。

もしも日頃から、
「シーベルト」「マイクロシーベルト」「ベクレル」等の単位を知っていたら、
私たちも当初のようなパニック状態に陥ることも無かったでしょう。
東京から脱出する人が増えたり、水を買い占めたりというようなパニックが。

もしも日頃から、人体に影響の出る放射性物質量の数値の知識があったなら、
「1年間に食べ続けた場合でも健康に被害は出ない」なんていう形の
ごまかしのような表現にイライラすることも無かったでしょう。
風評被害も避けられたかも知れません。


事実を正しく知らされないことへの不安というものを、私たちは経験しました。

だからこそ、仮に原発を使い続けるのであれば、
こういったことも必要になってくるのではないかと思うのです。



やっと現実を受け入れられるようになってきた

3月11日。
東北沖で大地震が起こり、大津波が押し寄せ、
計り知れない規模の大災害となってしまった東北地方と関東地方。
東京でも老朽化した建物の壁が崩落して、死者が出てしまいました。

まずは各地で被災された方々、遅ればせながらお見舞い申し上げます。

私にとって、これほどの揺れは初めての体験でした。
もちろん、日本での暮らしがこれまでの人生のほとんどですから
いくども『地震』は体験していますし
「あ、揺れてる」という言葉も、何度となく使ってきました。
しかしながら「摑まってなければ立っていられない」ほどの揺れは
正直、未体験でした。

阪神大震災も、スマトラ島沖地震も、ハイチ大地震も…
いつもいつも「心を寄せて」「被災者の気持ちを第一に考えて」を胸に
自分に出来ることを、出来るように、との姿勢で向き合っていたつもりでした。
でも、結局自分のしてきたことは『何の役にも立っていなかった』。
「心を寄せる」とは名ばかりで、
口先だけで言葉を唱えていたに過ぎなかったのではないか…。

大地震以降、日に日に被害状況が明らかになるにつれ、
そんな思いに押し潰されそうでした。

地震と津波の被害だけでも、
「甚大」なんていう単語が貧弱に感じられてしまうほどのひどい状況。
被災地から遠く離れた場所に住む私は、
たとえば目を覆うことで、少しの時間忘れることが出来るのかも知れません。
でも、現地で被災された方々は?
大切な人を失い、避難生活を余儀なくされ、先の見えない不安に苛まれている方々は?


あれから半月余りが経ち、
その間に新たに起きた原発事故や買占め問題、さらには計画停電の日常についても
さまざまに感じることがありました。
とくに原発事故には『放射能』という見えない脅威が存在し、
人々を大きな不安に陥らせています。
私の周りにも東京を離れた友人がいますし、
アメリカやカナダの友人は、
自分たちの国に避難して来るようにとメールをくれたりしています。

さらには空気、水、食物(野菜や原乳など)といった、
生命に関わるものに対する不安が広がり、情報も錯綜しています。
風評被害など、農家や酪農に携わる方々の生活にも暗い影を落とし始めています。

いったい何が正しくて、何を信じればいいのか。
ごくごく一般人でしかない私の頭は混乱し、
誰でもいいから、安全なのか安全でないのか、明言して欲しいと、
つい「感情的に」思ってしまったりもしました。

ネット上ではさまざまな意見が飛び交い、
ツイッターやFBなどSNSの急速な普及で、デマが広まったりもしているようです。

そういう中にあって、私はずっと、もやもやし続けていました。
「胸の中心」というのか、「頭の奥深く」というのか、
とにかく、私の「どこか」に「何か」が生まれて育っていることだけは感じていました。
その「何か」…自分が感じ続けてきたことが、時間を経て、やっと見えてきました。

簡単に言うなら、やっと現実を受け入れられるようになってきた
ということになるのかも知れません。


そんなことを、少しずつ書いてみようと思っています。

 


春場所中止(八百長問題)

私は大の相撲ファンであると自認しています。

さて、このところの大相撲における、いわゆる「暴行致死問題」や「薬物問題」
「野球賭博問題」などはどのようにも言い逃れのできない刑事事件でした。
そういえば「朝青龍問題(事件?)」なんていうのもあったけれど、
私は個人的に、ああいった破天荒な人物は嫌いではないし、
大相撲という、ある意味「閉じた」世界に新しい風を吹かせたという意味で、
当初から『問題視』することそのものに対して『?』という感じでもありました。


そして今回の「八百長問題」。
まずこのメール内容の出所がいただけないですね。
こんな『超』プライベートと言っていい「携帯メール内容」を、
なぜ相撲協会やマスコミが知り得たか、です。
警察が別件で押収した携帯電話のメール復元でわかったものを全く別件で、
しかも法律的には罪でない「八百長」が疑われると思われるからと、
そのメール内容を当事者に無断でマスコミに流していいのだろうか
…ということです。

NHKでも民放でも、
このところのトップニュースは当然のように八百長問題となっていますが、
私は、もっと大きく取り上げられるべき問題は山のようにあると思っています。
エジプト問題然り、新燃岳噴火状況然り、鳥インフルエンザ然り…。
現在の状況は、歌舞伎の市川海老蔵問題の際の報道スタイルと酷似しています。

歌舞伎と大相撲。いみじくも、どちらも日本独自の文化です。

スポーツライターの玉木正之氏の著書『続スポーツ解体新書』に、
相撲界の美徳の存在について、丁寧に書かれています。

大相撲には元来「八百長」など存在しない。
あるのは「阿吽の呼吸」という美しい伝統だけである…。

詳しくは玉木氏のブログを読まれることをおススメします。
そこで採りあげられている歌舞伎の『双蝶々曲輪日記』や
落語の『佐野山』等にも触れていただけると、個人的には嬉しいです。


春場所中止?…なんていうことでしょうか?!

相撲に邁進しているお相撲さんたちから「相撲の場」を奪ってしまったら、
いったいどんなことになってしまうのでしょう。
どちらにしても、ろくなことにはならないような気がします。

「世間の声」で、あるひとつのモノを徹底的に叩いて叩いて、
その対象を潰すまで叩き続けるという現在の社会のあり方が、
私には、そら恐ろしく感じられます。

マスコミが先導している、と言っても過言ではない現在の状況を
私は心底憂えてしまいます。


 


アースマラソンと千日回峰行

金曜日の夜でしたか、約2年に渡った世界一周の旅『アースマラソン』に挑戦していたという間寛平氏のゴールイベントが、地上波TVで生放送されていました。地上は自分の足で走り、海はヨットで横断。それを2年続け、ついに世界一周という大業を成しえたそうです。
偶然観た番組でしたが、いろいろと思うところがありました。
寛平氏は途中、前立腺ガンが見つかって手術を受けたり、太平洋や大西洋などを渡るために利用したヨットでの過酷な経験をしたり等々…、これまで、さまざまなシーンがテレビ中継されていたようでしたが、私はあまり深く知りませんでした。


ところでお正月が明けた頃、私が読んでいたのは大峯千日回峰行を成した 塩沼亮潤大阿闍梨 による、『人生生涯小僧のこころ〜大峯千日回峰行者が超人的修行の末につかんだ世界』という書籍でした。たいへん素晴らしい内容なので是非おススメしたいところですが、まずは
「大峯千日回峰行」とはどういうものなのか、本文より少し引用してみます。

「大峯千日回峰行は、奈良県吉野山の金峰山蔵王堂をスタートして二十四キロ先にある大峯山の山上ヶ岳頂上まで登り、再び帰ってくる往復四十八キロのコースを行じます。蔵王堂のある場所が標高三百六十四メートル、山上ヶ岳頂上が千七百十九メートルですから、標高差は千三百五十五メートルにもなります」

要するに、標高差1355M、片道24kmの山道を一日一往復、それを毎日続けるというわけなのです。千日間連続して行なわれるわけではなく、山が開いている期間、すなわち5月3日から9月22日の約4ヶ月間を目処に毎年120日超歩き、足掛け9年をかけて1000日を数えるというものだそうです。

「そのため、行の始まる五月初旬頃には、下では春の暖かさでも頂上付近にまだ雪が残っておりますし、当然、寒暖の差もかなりあります」

蔵王堂からの4キロほどは舗装道(林道)になっているそうですが、その先は登山家も通わないようなけもの道。2キロも歩けば民家はなくなり、提灯の明かりのみが頼りという闇になります。何しろ出発が0時半というのですから、文字通り漆黒の闇、というところでしょう。マムシや猪、熊、鹿、そして猿などに出合うこともあるそうです。薄明るくなり始めた頃には大木の根っこを踏み越え、傾斜する断崖絶壁という道を登っていくのだそうです。頼りになるのは提灯と杖のみ。簡素な白装束でたったひとり孤独の行が、雨の日も強風吹き荒れる日も、毎日毎日繰り返されるのです。

私が最も驚いたのは、行者の持ち物の中に『死出紐(しでひも)』や『短刀』があることでした。『死出紐』は万が一、行が遂げられなかったときに自らの首をくくるためのもの。『短刀』も同じく自決用です。どんなに体調を悪くしようが、足を痛めようが(実際に塩沼大阿闍梨は膝に水が溜まったり、歯痛や胃痛などに苦しめられました)最終ゴールまで続けないわけにはいかないという決まりです。登山時の危険だけでも想像を超えているにもかかわらず、1000日を終えられないと見切ったときには、自決する覚悟で臨まなければならないという過酷なものなんですね。
実際のところ、大峯千日回峰行を完遂されたのは明治以降2人めで、その後はまだ出ていないということです。

その過酷な行を成し遂げたあと、迷いや苦しみから抜け出ることが出来たと書かれてある次のページには、仏様のような柔和な面立ちの著者の写真がありました。

この読書体験は、今の私にたいへん大きなものを与えてくれたと感じています。 到底同じ境地に立つことなどできないことはわかっていますが、それでもそれを完遂された方の言葉は重く、そしてある意味シンプルなものなだけに、胸を打つのかも知れません。
タイトルになっている「人生生涯小僧のこころ」 という言葉。この言葉がどのような瞬間に、どのような状況で書かれたのか___。
もしご興味をお持ちになられた方には是非、手にとって読んでいただけたらと思います。


さて、アースマラソンのゴールしたあとの間寛平氏です。余計なものがそぎ落とされた肉体と、過酷な体験を孤独のうちに成し遂げてきた精神、そして地球という大自然に翻弄され続けた日々の蓄積によって培った「野生美」とでも言うべき美しさ。
そう、寛平氏に、私は美を感じました。あの「仏様のような柔和な面立ち」にも似て、まるで大阿闍梨のようでした。

 


ブリューゲルの視点

「バベルの塔」や「雪中の狩人」で知られるブリュッセル(ベルギー)の画家、
ペーテル・ブリューゲルの視点について、ここしばらく考えていた。


   バベルの塔 (1563)

  雪中の狩人(1565)

「謝肉祭と四旬節の喧嘩」や「子供の遊戯」などの作品は、
まるで画家自身が神であるかのように、高い位置から地上を鳥瞰している。
そこで起きている出来事をそのまま丸ごと掴んで切り取り、
キャンバスの上に描いた、というように見える。

 謝肉祭と四旬節の喧嘩(1559)

 子供の遊戯 (1560)

16世紀半ばを生きたブリューゲルは、
ルネサンスの時代を、そのまま体験していたと言っていいだろう。
 【参考】
  レオナルド・ダ・ヴィンチ (1452-1519)/ミケランジェロ(1475-1564)
  ペーテル・ブリューゲル(1525or1530-1569)

しかしながらブリューゲルの描くものは、
神話や聖書によらない、人間社会そのものだった。
さらに言うなら、人間そのものを描いた画家であった。


私たち人間は、
いつの頃からか世界の中心に「自分」を置くようになった。

ブリューゲルの時代は視点を、そこにある「世界」そのものに置いていた。
いや、人々の、中世からの世界の見方は共通して、
「世界」という一枚の絵画を見ている、というようなものだったのだろうと思う。

ブリューゲルは、そこ(世界)にいる人々の、
滑稽さ、憐れさ、あくどさ、陽気さ、無垢さ…等々、
見たもの、感じたままを、自身の主観を排した形で描いてみせてくれている。


近代以降、私たち人間の社会は大きく変貌した。

特に19世紀、産業革命、工業化の波が都市を建造し、
人々が大都市に集まるようになったことで、カフェやレストランで過ごす人の数が増え、
徐々に家は寝るだけの場となっていく。
都市は人と人の繋がりや関係性をある意味破壊したとも言える。

19世紀における破壊の根源を「都市化」とするなら、20世紀は戦争だ。
20世紀の戦争で初めて、
戦争相手国の民であれば無条件に大量殺戮をしても構わない、というような
戦い方の戦争が起こった。
ここには、強い「自分」「自分たち」という意識が働いている。

さて、21世紀である。
ネットの普及で、人と人との繋がりのあり方も変わってきている。
文化はさらに成熟し、社会の複雑化もとどまるところを知らない。
自分の立ち位置、アイデンティティというようなものをしっかりと確立し、
強い意志を持って生きていないと、前に進むのも難しい。
「自分を持たねば」と、日々追い立てられているのだ。

しかしながら、ふと思うのである。
そこには大きな陥穽がありはしないだろうか。
「自分」が強く出すぎるために、
周囲を気にかけない瞬間が多くなってはいないだろうか。

誰でもが気軽に自分自身を表現し、発信することができる反面、
自分自身をまるで神であるかのように錯覚し、
「気軽」「気軽」…の連鎖的な発言から痛ましい事件に発展してしまった
秋葉原での例もある。


時にはブリューゲル作品をじっくりと眺め、
「自分」というものから解放されるのもいいだろう。



マグリットによる幻惑

諏訪湖のほとりにたたずむ「北澤美術館」は本館、新館共に三角屋根の造りで、
その外観は、大空と、大自然と、澄んだ空気にしっくりとはまり込んでいる。
残念なことに今年に入ってからは、まだ足を向ける機会がないのだが、
今頃はもう、すでに冷たい初冬の風が吹いていることだろう。

しかしながら、だからこそこの時分には
エミール・ガレやドーム兄弟らによる
アール・ヌーヴォー作品の温もりが心癒してくれるのであろうし、
私の大好きな東山魁夷画伯の風景画は
自然の厳しさ、美しさ、懐の深さを私たちに再認識させてくれることと思う。

ところで毎年、必ず私のアトリエにかかるカレンダーは
この北澤美術館のオリジナルである。
11月になって、ついに今年のカレンダーも残り一枚となった。
これから年の瀬に向けての期間、アトリエの一隅を飾るのは
ガレによる花器「フランスの薔薇」(1902年頃)だ。



ガレは個人的に好きな作家の一人であり、
彼の技術、思考、生き方、探究心等々…語ればきりがなく、
そういったことについては、また別の機会で触れようと思う。



さて、カレンダーの「フランスの薔薇」。
漆黒の背景に、パステル調の作品が浮かび上がっている。

日常の中で何度も、そのカレンダーが視界の片隅をかすめる時、
毎回、一瞬めまいを覚えるような感覚に陥ってしまう。
言ってみるならそれは、
奇妙にも時間のゆがみの中に迷い込んでしまったかのような、
でもまったくいやな感じのしないものであり、
いや、むしろ私はそこに、
えもいわれぬ幸福感さえ覚えているのである。

奇妙な言い方になってしまうけれど、
それは「心地のよい混乱」と表現する以外にない。


話は飛ぶようだが、ルネ・マグリットというベルギー生まれの画家は、
青空に浮かぶ雲を、自身の、多くの作品に描き込んだ。
その中に「大家族」という、あまりにも有名な作品がある。



「大家族」(1963年)

こうして並べてみると、大きくかけ離れた形状のものであるのにも関わらず、
カレンダーの「フランスの薔薇」が日常、私の視界の片隅に入る時、
瞬時にこの「大家族」とが、なぜだか交錯してしまう。
ガレの花器の形状の中に、雲が浮かんで見えるのだ。
私の中で生じている「心地のよい混乱」の原因を追究するならば、
マグリットに惑わされている、と言えるだろう。


マグリットは、絵画を「目に見える思考」と言った画家である。


北澤美術館のHP → 
コチラ
エミール・ガレをWikipediaで見る → コチラ
ルネ・マグリットをWikipediaで見る → コチラ 


ジョン・レノン生誕70年


Mother, You had Me I never had you
I wanted you but you didn't want me
So I got to tell you
Goodbye , Goodbye

母さん、
ボクはあなたのものだったのに あなたはボクのものではなかった
ボクはあなたを求めたのに あなたはボクを求めなかった
だから、ボクは言うよ
さようなら


このところ、久しぶりにジョン・レノンを聴いている。
ビートルズ解散後のソロ第一作目のアルバム「ジョンの魂」に収録されている
最初の曲が、「マザー」だ。

 You Tube で聴きたい方は → コチラ

この曲には、ジョンの生い立ちや、それにまつわる心理的なものが
さまざまに絡み合いながら詰まっていると言われている。
歌詞だけでなく、メロディやジョン本人の歌声からも
せつなさだけでない、複雑な思いのようなものが伝わってきて、
私たち聴く者の胸に「なにか」を刻むようなところがあるように
私には感じられる。


『ジョンの魂』(1970年)/ジョン・レノン


ところでジョンは、来月9日には生誕70年を迎える。
もし生きていたなら、現役のミュージシャンとして、
世界中の人々にメッセージを送り続けていたのだろうか。
それとも音楽をすっぱりとやめて、
別のアートの道を歩んでいたりしたのだろうか。
はたまたゆったりとした老後を迎えて、
ヨーコ氏と二人、世界中を旅して歩いていただろうか…。

いつの間にか人生が、ジョンのそれよりも長くなっていた私だけれど、
人生って、実は「長さ」ではなく、
いかに「濃密」に送るか、にかかっているのだと、
久々のジョンの声に、あらためて教えられた気がした。


2年ぶりになるだろうか…。
今年は必ず行こうと思う。
「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ」

 


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