隠蔽体質とジャーナリズム
3月の震災、そして原発事故以来、さまざまなメディアがめまぐるしく動きました。復興に関するビジョンがなかなか示されないまま、原発事故の処理も遅々として進まず、政治家たちは政局の話に終始し、国民は置き去りにされているかのような意識になった時期もあり、日本という国は大丈夫なのだろうか、との思いが強くなったりもしました。現在は牛肉の放射能汚染に代表されるような食の問題も噴出していて、お子さんを持つ母親を中心に市民レベルでの動きもたくさん見られるようになりました。
そんな中にあって私は、原発の問題は根が深いことを、今回の事故で再認識するに至りました。原発に反対する人たちがSNSなどでの呼びかけで大規模な反原発・脱原発デモを繰り広げたり、鎌仲ひとみ監督によるドキュメンタリー映画(「ミツバチの羽音と地球の回転」など)が話題になったりする反面、電力削減依頼の上に円高も手伝って、一部企業は工場の海外移転も視野に入れているという報道もあります。それが進めば雇用が減るのは必至で、経済への打撃は相当なものになるとの専門家による見解もあります。一方「電気は実は足りている」という話や、「低コストとされてきた原発のコストは実は高い」「温暖化とCO2量の増加は実は無関係だ」等これまでの定説を覆すようないくつもの情報がさまざまなメディアから耳に入ってきます。
少し前まで私は、「原発問題」について自らの考えをまとめよう、と思っていました。そのために多くの書籍を読み、過去のドキュメンタリーを観て、たくさん検索しました。その過程で、一度は「これが自分の意見だ」的なものを持ったように思いましたが、事情があってそれを放置しているうちに少しずつ考えが変わってきました。今日は、現在の私が考えることを記してみようと思います。
私が思うに原発の持つ最大の問題点は、それに携わっている組織の隠蔽体質です。原子力発電が素晴らしい科学技術の上に成立していることや、クリーンで低コストなエネルギーであること、さらには原子力発電所を誘致することでその地域が経済的に潤うことなどなど、これらの正否の検証をするより以前に、「隠蔽体質」がそこにある以上、原発推進について考えることをすら、私の思考は拒否します。
放射能による汚染がいったいどの程度になっているのか、また、日常生活の中でどのくらいの量(シーベルトだのベクレルだの)までなら許容していいものなのかなどについても専門家の間で意見が分かれています。私は原子力や放射能についての知識に詳しい者ではありませんが、科学者がここまで両極端な意見を述べるのには、まだまだ解明されていないことが膨大にあることも事実なのだろうと思います。
しかしながら、被曝国でもある上にこれだけの事故が起きれば、私たち一般庶民が不安になるのは当然のことです。専門家の見解を、出来うる限りわかりやすく提示して欲しいと思うわけです。そんな中で、専門家の発言が「20ミリシーベルト以下」であったり「1ミリシーベルト以下」であったりと、あまりにも幅のある数値を提示されれば、どちらを信じたらいいのかわからなくなりますよね。
さて、そこに「隠蔽体質」が見え隠れすれば、私たちの不安は増していきます。「わからない(解明されていない)」というのは、「本当にわからないから言えない」のか?本当はそうではなくて「隠しているのだろう」「隠しているに決まってる」というように、勘繰ってしまうのも無理はありません。不安はさらに「他にも何かを隠しているはずだ」「都合の悪いことを言わないだけだ」となり、さまざまな声を吸収しながら膨張し続け、最後には「すべてが嘘っぱちだ」となってしまいます。
加えて問題を複雑にしているのは、そこに「煽り」と言ってもいいような情報が、ネットを中心に発信され続けていることです。テレビを批判し、新聞を批判し、記者クラブを批判している発言を数多く見かけます。記者クラブは震災前から長きに渡り一部で問題視されていたことですが、原発事故以来、敢えてなのかどうかはさておき、事故に絡めて大いに煽り、批判を強めているようにも感じます。
私が今求めるのは、とにかく正しい情報を、時間差なく出すことです。実は2ヶ月前にメルトダウンしていて、すでに多くの一般庶民が被曝していました…では、あまりにもタイムラグがありすぎるし手遅れです。正確に、いち早くが基本です。情報の遅れや隠蔽は、デマを生むという側面も持っているからです。
つまり、実はこれは原発の問題でありながら、報道の問題でもあるということに気づかされます。もしも東電や政府に隠蔽の意思があったとしても、そこにメスを入れ、質していくのがジャーナリズムでしょう。事実を暴いて、正しい情報を素早く提示できるような体制に持っていかなくてはならなかったのではないでしょうか。
そういうわけで私は、その隠蔽体質と我が国のジャーナリズムの有りようが、今回の原発事故を余計に大きくさせてしまったのだと思っています。ジャーナリズムのあり方については、さまざまなことを考えさせられていますが、それについてもいつか、もう少し掘り下げてみたいと考えています。
- 2011.07.30 Saturday
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- 20:56
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- by hacogoto

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